長い軍政時代を経て2011年にようやく民政移管が実現したミャンマーは、2021年2月、クーデターによりまた国軍の支配下に置かれた。少数民族や民主化勢力との武力衝突は各地で続いており、人���は平和で安定した暮らしをできずにいる。約20年間、国際NGOや国際協力機構(JICA)のプロジェクトなどを通じてミャンマーの開発に携わってきた教育コンサルタントの宮原光さんが、教育開発の取り組みを振り返りながら、ミャンマーの子どもたちへの思いをつづる。

日本の子どもは学力が高い一方で、自己有用感や人生への満足感、目的意識が低い傾向があると言われる。その日本に身を置きながら、20年間関わってきたミャンマーの子どもたちの現状を思う。文字通り、明日をも知れず、自分の力ではどうしようもない渦のただ中にある彼らにとって、「将来のために勉強に取り組む」とはどういうことだろうかと考えさせられる。

民政下で始まったカリキュラム改革

約半世紀にわたり実質的な軍事政権下にあったミャンマーの民政移管が実現したのが2011年。私は、報道される急速な外貨の流入に危うさを感じつつ、今こそミャンマーに戻らなくては、と心を決めていた。それまでのミャンマー駐在中の記憶の中で、強く印象に残る出来事があった。

2000年代半ば、私はエーヤワディー川下流の村のある学校で、授業を見ていた。子どもたちにとって私は、人生で初めて出会う外国人であろう。子どもたちは、先生が黒板に書き写して読み上げる教科書の文言を力いっぱい復唱していた。私は、子どもたちの大音量の声に包まれながら、「プロジェクトの支援で学校に通えるようになってよかった。でもこの子たちは、何を学んでいるのだろう」と、少し切ない気持ちになったのだった。

民政移管後の2014年から2021年、私はミャンマーでJICAの技術協力プロジェクト「初等教育カリキュラム改訂プロジェクト」に従事した。小学校1年生から5年生の全10科目(ミャンマー語、英語、算数、理科、社会科、道徳、ライフスキル〈保健、環境/防災を含む〉、体育、音楽、図工)のカリキュラムと教科書を改訂し、子ども自身が気づき、考え、活動を通して体験し、共有しながら、答えを導きだしていく教育への転換を図る取り組みだ。

現職の先生がたや教員養成校の学生には、教科書の内容をそのまま教えるのではなく教科書を使って学びのプロセスを促進する授業を、体験を交えて伝えた。知識だけでなく、子どもたちの学習状況を多角的に確認し、次の授業に生かしていく評価のツールも提供した。

新カリキュラム導入当初は不安を感じる教員や保護者も多かったが、1年、2年と経つうちに、「以前は質問することも許されなかった子どもたちが進んで発言するようになってうれしい」「新しい教科書で勉強した子は、年上のきょうだいのように指折り数えずに暗算ができる」といった声が聞こえるようになった。それまでほとんど教えられていなかった体育、音楽、図工といった教科の授業も行われ、子どもたちの全人的な発達が促されるようになった。学力調査を実施したすべての学年で得点が上がり、授業の進め方も改善していることが示された。

従来の理科の教科書(左)と新しい教科書。新教科書ではイラストや表、写真を使いながら丁寧に説明されている=2017年5月30日、ミャンマー・ヤンゴン、朝日新聞社

コロナ禍、教育機会の格差を埋めるために

新型コロナの感染拡大により専門家が急きょ帰国したのは2020年3月。小学校最後の学年である5年生の教科書の開発が佳境を迎えたころだった。現地を離れる前にスタッフと三段構えの遠隔業務移行計画を申し合わせておいたが、状況は目まぐるしく変化し、プロジェクト管理業務のオンライン化に始まり、次々と段階を引き上げることとなった。最終的には、日本の教科専門家がミャンマー教育省の職員に対して行う技術指導を中心に、全ての活動を遠隔で実施する態勢を整え、事業を継続した。

ミャンマーでは3月に学年末試験が行われ、4月の「水かけ祭り」の休みをはさんで、新学年は6月に始まる。毎年休み中に開催していた教員向けの新カリキュラム導入研修はオンラインと対面のハイブリッドで実施した。しかしこの年、新学年開始は延期を繰り返した。一部の学年で授業が始められたが、間もなく感染拡大の兆しが見えると休校した。

一部の私立校ではオンライン授業が早々に開始されたが、電気や通信インフラの整備が進んでいない公立校では夢のまた夢だった。それに、日本のように教科書と課題が子どもたちに配られることもなければ、民間の学習教材があふれているわけでもない。

見かねて、教科書開発と並行する形で、カリキュラム準拠の自宅学習教材の開発に着手した。コロナ下での学習方法を指南する映像なども制作し、教科書や教師用指導書、自宅学習教材とともにインターネット上でも公開された。そして現地に戻れないまま、2021年1月、新しい教科書は全て完成した。

軍事衝突、学校も標的に

学校再開までのつなぎ措置として自宅学習推進の指示が地方の教育事務所に通達された直後の2021年2月1日、ミャンマー国軍によるクーデターが起こった。しばらくの間、軍部に対する非暴力の反対運動が全国で展開された。国軍が実権を握った政府機関では公務員の多くが職務を離れた。教員も例外ではなかった。

1学年の空白を経て学校が再開されたが、子どもを学校に行かせることをはばかる家庭も多かった。その後、軍部と反対勢力の軍事衝突が本格化するにつれて、都市部では爆発、地方の一部地域では空爆が増加し、学校も標的になった。学校に残る先生、離れる先生、子どもを学校に行かせる親、行かせない親。その中には、自らの意思でそうする人と、やむを得ずそうする人がいる。身近な人たちの思いに反して、あるいは周囲の目を気にしながら、教壇に立ち続ける人、子どもを学校に送り出す人。大切な児童・生徒を後にする人、自分の子どもが教育機会を失う人。それぞれに葛藤を抱えている。

日本政府はミャンマーに対する新規の二国間協力を停止した。しかし、既に1年間勉強できずにいたミャンマーの子どもたちの多くは、遅れを取り戻すどころか、通常の生活を送ることもままならない状態で時間が経過していった。

どんな環境下にあっても子どもたちに勉強の機会を

そこで私たちは、なんとかして学習機会を提供しようと国際的な援助機関と協力して、カリキュラムの学習目標の達成に資する学習教材を開発することになった。

図らずも、コロナ下で自宅学習教材を作った経験が生きた。学校に行っていても行っていなくても、教科書を持っていても持っていなくても、教えてくれる人がいてもいなくても、男の子も女の子も、障がいがあってもなくても、多くの民族が多様な環境で生きるミャンマーの、どこで、どのような生活を送っていても、たとえつらいことがあっても、楽しく勉強できるように。私たちはそう願い、授業を観察することも、子どもたちや先生がたの反応を確かめることもできないまま、かつて会った子どもたちや会ったことのない子どもたちを思い浮かべ、現地から届く情報を頼りに想像をふくらませながら開発を進めた。

学校生活やものの値段、役所での手続きといった、平時なら当たり前なテーマや例示が、どれも機微に見える。演習やゲームを盛り込み、教科書以上に自習しやすさに配慮した配列にしていても、そこまでの学習が不完全だったら理解できないのではないかと、知恵を絞り、工夫を重ねる。現地では電気やインターネットが頻繁に止まり、不測の事態が起きるたびに対応を迫られる。複雑な工程を要すると同時に作業期間が限られ、我慢強いミャンマー人スタッフは無理をして、体調を崩すメンバーが続出する。

緊急援助モードでの開発協力、危機下の復興支援とも言うべきオペレーションの末、8年生までの教材ができ上がった。喜ばれていると聞くが、どんなふうに使われているのか、気になる。少しでも学びの助けになっていれば良いと思う。新カリキュラム導入スケジュールが1年遅れた影響もあり、中学校の最終学年である9年生の教材を作れていないのが心残りだ。

現在公立校では、新カリキュラムの教科書が使われている。予定していた教員研修はできないが、あのころ熱論を交わした先生がたが、学校に残っていても別の場所であっても、一人ひとりの子どもの学びを支えてくれていればと願う。

クーデターから3年を迎えたミャンマー最大都市ヤンゴンの街並み=2024年2月1日、ミャンマー・ヤンゴン、朝日新聞社

ミャンマーで今起こっているせめぎ合いは、何十年もくすぶり続けてきた炎が燃え盛ってしまっているのだが、民政移管後に生まれた子どもたちにとっては、日常や近しい人を失う体験にほかならない。人生に希望はあるのか、ということを問うことさえ思いつかない子たちもいるだろう。

それでもなお、学び続けてほしい。今できることは限られていても、自分でよく見て、筋道を立てて考えて、きちんと伝えて、仲間と一緒に道をひらく人に育ってほしい。どの国で生まれ育っても、どの時代でも、小さな一人ひとりが学び続けることが未来を形づくると信じている。