だらすこ工房に集まって311「その時そして」何もかも奪った津波㊤

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小幡淳一
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 岩手県北東部の太平洋岸にある野田村。中心部から海岸方向にあった旭町には民家や村営住宅など108世帯が密集していた。ここに生まれ、海を見て育った大沢継弥(つぐや)さん(79)は60歳で大手通信会社を退職。地域に恩返ししたいと2009年1月、町内会長を引き受けた。

 明治、昭和と大津波が襲い、大雨で毎年のように浸水被害が起きた。しかし、自主防災組織はなく、防災備蓄は皆無。高齢化が進む地域のつながりは薄れていた。

 「災害で犠牲者は出さない」。住民に協力を呼びかけて組織を立て直し、補助金で自家発電機などをそろえた。大規模な避難訓練を行う予定だった1カ月前、11年3月に東日本大震災が起きた。

 町内会で9人が亡くなった…

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この記事を書いた人
小幡淳一
盛岡総局
専門・関心分野
事件、調査報道、スポーツ、料理