第3回米大学テニス部→世界4大会計事務所 日本の小学生王者が歩んだ道

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内田快
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 テニス界からも、米国の大学への進学を選ぶ選手たちがいる。小学生のときから国内トップクラスだった大島立暉(りき)さん(26)もその一人だ。

 オレゴン大学で学び、卒業した後も米国に残った。いまはロサンゼルスに住み、大手会計事務所で働いている。

 「オレゴン大学に入ったのは高校卒業をした翌年の1月。決断が遅かった分、入学も遅れました」

 富山県射水市で育ち、小学生のときに全国チャンピオンになった。

 中学2年生から米フロリダ州に渡って、2年間にわたって腕を磨いた。錦織圭ユニクロ)らと同じく、日本テニス協会元会長の盛田正明氏が私財で創設した「盛田ファンド」の支援を受けて��留学だった。選ばれるのは1学年で多くても数人という栄誉だった。

 帰国し、高校1年の夏からは強豪の兵庫・相生学院高でテニスに打ち込んだ。卒業後にプロに転向するか、大学に進学するか、悩んだ。

 大学なら米国にしようと思っていた。英語も話せるので言語の障壁はない。将来、4大大会で活躍するためには、世界中の選手が集まる米国の大学の方が良いと考えてもいた。相生学院の荒井貴美人監督からも「グローバルなところで活躍する選手、人材になってほしい」と言われていた。

プロテニス選手をめざして渡った米国で、最終的に選んだ進路は大手会計事務所への就職でした。奨学金を受けながら過ごした大学で、何が大島さんを変えたのでしょうか。

 どちらにするか決めるため…

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この記事を書いた人
内田快
スポーツ部
専門・関心分野
テニス、スポーツと社会
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    中川文如
    (朝日新聞スポーツ部次長)
    2024年7月10日11時15分 投稿
    【視点】

    人の成長の歩みって、人それぞれなのだと思います。この連載の第2回に登場したフットボーラー庄島辰尭さんの場合、最初からUCLAという目標は決まっていて、数年後のその目標達成からさかのぼってすべての歩みを設計した「逆算型」。翻って今回の大島立暉

    …続きを読む