ひとまちくらし14 まちになじむ

松村圭一郎(文化人類学者・岡山大准教授)
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 いま在外研究でフランス東部のストラスブールにいる。もうすぐ1年がたとうとしている。最初はすべてが新鮮で戸惑うことばかりだったのに、気がつけばあらたな環境にすっかりなじんでしまった。

 あそこに行くにはこの道を通って何線のトラムに乗る。そこにはこんなお店があって、これが手に入る。パンを買うならあの店だし、肉や魚ならここ。野菜や果物は何曜日のマルシェのあのお店で買う。思い返せば、店に詳しくなるにつれ、まちが身近になってきたことがわかる。

 都市は巨大なマーケットだ。ほとんどの住民は生産者ではなく消費者で、日々、必要な物を購入して生活している。お金があって商品を買えさえすれば、たとえ知り合いがいなくても都市では生きていくことができる。言葉が話せなくても、買い物をするときの片言のフレーズを覚えたら、それほど困らない。

 国連の統計によると、世界で都市に居住する人口の割合は、1950年代の30%ほどから2022年には50%以上まで増加してきた。日本では現在90%以上の人が都市で生活しているという。「まち」は、現代の世界を考えるときに無視できないテーマなのだ。

 都市は商品やサービスを提供する店とそれを購入して生きる消費者によって成り立つ。この連載では一貫して、まちの「店」に注目してきた。それは、いま多くの人が生活する都市について考えるとき、「店」がきわめて大きな位置を占めているからだ。おそらく店との関わり方が変われば、私たちの生活も変わる。私たちの社会生活が大きく変化したとすれば、店のあり方が変わったからではないか。そんな思いで店に注目してきた。

 フランスにいると、店や市場で物を買うときの様子が、日本とはだいぶ違うことに気づく。欧米ではレジであいさつを交わすことは、以前から知っていた。だが、あらためてその徹底ぶりには驚かされる。

 かならず店員と目を合わせて笑顔で「こんにちは」とあいさつする。精算が終われば、また目を合わせて「ありがとう、よい一日を。さようなら」と言葉を交わす。このやりとりが最低限で、そこにいろんな会話が加わる。

 全国チェーンのスーパーのレジであっても、客とのやりとりがマニュアル通りということはない。店員と客が冗談を言い合う場面にも遭遇する。

 あるとき、観光客らしい人がスーパーのレジで100ユーロ札を出したことがあった。日頃あまり目にしない高額紙幣だ。レジの店員は、おおげさに驚いた顔をしてその紙幣を受けとると、こっそり自分のポケットに入れるふりをして周りの客を見回し、にやっと笑った。たくさんの人がレジに並んでいても、そうした客とのコミュニケーションが省かれることはない。

 カフェなどでも、多くの人が会話を楽しんでいる光景を目にする。私たち家族は、ついおいしいものを味わうことに夢中になってしまう。だが周りを見ると、「消費」が中心ではないと気づかされる。コミュニケーションを楽しむために店に来ているのであって、飲み食いは二の次なのだ。

 店は商品を提供し、客はお金を払ってそれを手に入れる。たしかに「店」は消費の場だ。だが、この連載でもみてきたように、日本でもかならずしも「店」は商品の売買という機能だけにとどまるわけではない。そこに起きていることに、どんな意味があるのか、次回、まとめよう。(松村圭一郎(文化人類学者岡山大准教授))

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