自民を飛び出し新党結成 いま岸田首相に伝えたい「保守本流の精神」

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聞き手・遠藤和希
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 自民党政権に社会党が対峙(たいじ)する「55年体制」崩壊から8月で30年を迎えた。1993年、政治刷新の旗を掲げて結成され、政権交代の一翼を担った新党さきがけ。90年代初頭のような激動の時代を迎えた今の政治に何が求められるのか。岸田文雄首相が所属する自民党宏池会の先輩で、党を飛び出し新党さきがけの代表代行を務めた田中秀征さん(83)に聞いた。

激動期の1993年に結成した新党さきがけ

 ――政権交代を果たした当時の政治状況は

 1990年代初頭は歴史的な激動期で、米ソの冷戦の終結、バブル崩壊に続く55年体制の終幕の中で新しい展望が開けない状態にあった。当時の自民党はリクルートや佐川の事件などの「構造汚職」にまみれて、日本の新しい進路設定に指導性を発揮できなかった。

 今はロシアのウクライナ侵攻も起きた。富の偏在、自然災害の増加など本当に大きな文明史的な時代の転換期だと思う。当時と同様にこの困難を打開する政治の指導性が欠けているのではないかと思う。

 ――その激動期に結党に踏み切ったさきがけの精神は

 憲法尊重、環境重視などの五つの理念を掲げた。そのなかでは質実国家という言葉も使った。実のある背伸びをしない国家をつくる。これは、保守本流と言われる宏池会の精神を意識して私が書いた。

 それらは池田勇人宮沢喜一両首相が師としていた石橋湛山の言う小日本主義を模範としている。日本は国土が狭く、資源が乏しいが、人口が多い。それが領土や植民地の拡張という大日本主義と言われる戦前の国策を招いたが、石橋湛山はこのままの国土で立派にやっていけると小日本主義を主張した。

 実際、戦後日本はその主張を貫いて世界の一流国になった。国内的には教育と科学技術の振興、対外的には平和友好と貿易立国の成果だった。

 ――現代にも通じる精神だと考えますか

 本当に大きな転換期のなか、政治の構想力が問われている。ただこれに対応する構想力はいまだ生まれていない。それに科学技術の研究力にも陰りが見える。その意味で、石橋湛山の精神も求められている。

宮沢喜一元首相にぶつけた思い

 ――なぜ、自民党を飛び出したのですか

 自民党内では、(構造汚職か…

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この記事を書いた人
遠藤和希
長野総局
専門・関心分野
空き家、循環社会、鉄道の将来、通貨危機など