【写真まとめ】「これからも見守って」 東日本大震災から12年
東日本大震災から11日で12年となりました。関連死を含む死者・行方不明者は2万2212人。避難者は今も約3万1千人にのぼります。
当時、巨大な津波に襲われた沿岸部では11日、早朝から追悼のために訪れる人々がいました。
岩手県大船渡市では、菅野明美さん(69)が孫の船本裕介さん(当時18)の墓参りに訪れていました。孫が津波に流されて亡くなったのは、高校を卒業しまもなく漁師として働くことが決まっていた矢先のこと。「『働いたお金は一番最初におばあちゃんにあげる』と言うほどの家族思いだった」。静かにその死を悼んでいました。
仙台市若林区荒浜地区の海岸で日が昇る海を見つめていた岩谷亮さん(34)。娘の美桜さん(6)に震災のことを伝えようと初めて一緒に訪れたそうです。
宮城県名取市閖上地区の名取川沿いの防波堤で、日の出を見つめていた髙橋理恵子さんは、震災で宮城県東松島市に住む高校時代の同級生を亡くしました。十三回忌にあたる11日に慰霊の意味をこめ、朝日を見に来たそうです。「こんなに静かできれいな海なのに、あのときはなんで猛威をふるったんでしょうね」。水平線からのぼる太陽を見て、「これからも私たちのこと、見守ってください」と祈りを込めていました。
震災発生時刻の午後2時46分には、各地で祈りが捧げられ、多くの人たちが犠牲になった人のために手を合わせました。
震災で家を流され、妹らを亡くした福島県いわき市久之浜地区の緒方ヨシ子さん(83)は「堤防や防災林でずいぶん景色は変わった。でも顔なじみのみんなに会って、波の音を聞くと安心する。今日はこんなにおだやかなのに」と話していました。
東北の被災地を中心に、各地の様子を写真でお伝えします。
- 【視点】
12年前のあの時、皆さんはどうされていたでしょうか。私は沖縄に赴任中でした。 米国総領事館で総領事とメディア各社で懇談中、秘書が「大変です」と駆け込んで来て、テレビをつけたら宮城県沿岸の空撮。堤防を乗り越え容赦なく家々や道路、田畑を侵食
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