小倉智昭氏、三途の川は「本当にあるんだね」…抗がん剤副作用で入院中に臨死体験 亡き父と会話した

スポーツ報知
仕事や趣味にも意欲は尽きない小倉智昭氏(カメラ・頓所 美代子)

 フジテレビ系「情報プレゼンター とくダネ!」などで知られるキャスターの小倉智昭氏(76)は、現在もがんと抗がん剤の副作用と闘っている。2016年に膀胱(ぼうこう)がんが見つかり、その後、肺に転移。効果のある抗がん剤が見つかったと思いきや、昨秋に副作用とみられる症状で入院していたことを明かした。病床では“三途(さんず)の川”を見てきたとも告白。「本当にあるんだな…」と驚いたという。(浦本 将樹)

 「おいおい。こういう取材は、病に打ち勝った人にするんじゃないの? 俺はまだだよ」。部屋に入るや否やジョークを飛ばす。テレビで見る機会は減ったが、“小倉節”は健在だった。

��膀胱がんが発覚し、膀胱を全摘。その後、肺への転移が分かり、抗がん剤治療を続けている。昨年4月の仕事復帰会見では、抗がん剤「キイトルーダ」が効いて、両肺のがんが数ミリまで小さくなったと喜んだ。

 だが、11月に異変が起きた。「キイトルーダ」投与が3クール終わった頃に息苦しくなり、階段を上るのがつらかった。「明日の大阪出張から帰ったら検査入院かな…」と思っていると、夜に体が動かなくなった。急きょ仕事をキャンセルして病院へ。倒れ込むようにベッドに入ってから1週間、記憶が曖昧に。家族に連絡が行き、後に医師からは「あの時は非常に危険だった」と言われた。

 その時、小倉氏の意識は別のところにあった。「目の前に川があって橋が架かっている。隣にオヤジ(1982年に死去)がいた」。親子でいろいろと話した後、父は「智昭、俺はそろそろ行くからな」と言ったという。

 小倉氏が「俺はまだ行きたくないから」と返すと、父は「そうか、お前は来ないか。分かった。お父さんは一人で行くよ」と橋を渡り、花園の森に消えた。「他人の話やドラマで見たことはあるけど、本当にあるんだね。夢にうなされていたのかな。今となっては笑い話だけど」と三途の川を渡りかけた臨死体験を振り返った。

 その後、入院は約40日間続いた。経営する会社の社員の給料が気になり、妻に「銀行で振り込んでおいて」とカードを渡して頼むも、教えた暗証番号はことごとく間違い。自身の携帯電話を使おうにもロック解除のパスワードが分からず「変な画面」に。家族から見ると「手はけいれんして目もうつろ。もうダメかも」という状態。それでも必死に生きようともがいていた。

 体調不良の原因はすい臓。通常であれば人工透析が必要なほどの数値だった。現在、肺のがんはほとんど見えなくなり、抗がん剤は使っていないが、原因不明の疲労感と太ももからふくらはぎにかけての脚の痛みに悩まされる。「階段を上ると息切れがするし、風呂に入るだけで200メートル走をゴールしたくらいの感じ。呼吸が苦しいと、このまま死ぬんじゃないかと思うくらい。でも歩かないとね」。以前は10分かからなかった坂も、今は休み休みで30分。それでも前を向いて歩き続けている。

 幼少期から健康だった。病気知らずで小学校5年の時に「サクランボを食べ過ぎて疫痢になって、ぶっとい注射を首に刺したくらい」。父親の方針で子供の頃は体を鍛えており、浪人中は予備校をサボって国体の予選に出場。100メートルを10秒9で走り、東京都から通知が来て、親から「何だこれは?」と怒られたほどだった。

 30代の頃に、テレビ東京の医学番組で「糖尿病」の放送回で採血した。空腹時に血糖値が380ミリグラム/デシリットル(正常な数値は110ミリグラム/デシリットル未満)あり、収録がストップ。糖尿病が発覚した。その後、自分の尿を気にするようになり、トイレでも座って小便をするようになった。

 16年に小便の中に唐辛子の粒のようなものが浮いているのに気づいた。調べると膀胱がんだった。医師からは全摘を勧められたが、さまざまな神経を失い、精子を作れなくなると聞いて躊躇(ちゅうちょ)。「(当時)68歳にもなって男に未練を残したってしょうがないのにさ」と決断できなかったことを悔やむ。

 ただ、2年後に全摘してみると、性欲は失わず満足感も得られることが分かった。それをさまざまな媒体で口にすることで、全摘に踏み切れる人が増えたという。現在も、ゴルフでショットの際に尿漏れするなどの人工膀胱による大変さを赤裸々に語り、男性トイレにサニタリーボックス設置の必要性も説く。

 根底にあるのは「人間、自分の恥ずかしい話はしたくない。でも、ずっと他人のことを報じて飯を食ってきたのに、自分のことは隠すというのは違う」という思い。膀胱手術直後もMCを務めていた「とくダネ!」に電話出演したり、復帰後も便の話を包み隠さずにしたりするなど、同じ境遇の人の力になればとの気持ちで発信してきた。

 世間の多目的トイレに対する意識も気にしている。人工膀胱を使用していると、外見は健常者と変わらない。スポーツ観戦していて多目的トイレに並ぶと、係員に注意され、説明すると謝られる。「ジェンダーの問題もありますけど、いろいろな意味で多目的トイレが必要な人がいるんです」。闘病しながらも、常に自分にできることを探っている。

 大病を経験して変わったことがある。「仕事でも何でも、これまでは多少の目標を作って一生懸命にやってきた」。でも、今は「その先、もしかしたら自分は生きられないかもしれない」と思うようになったという。覚悟ができると考え方にも影響する。「今まで行き当たりばったりで生きてきて、運が良かっただけなんだよ。やりたいことより、自分は何をするべきなのか…」と自身に問いかける。

 初めてがんを宣告されてから7年がたった。尿漏れ防止のため、ペットボトルを股に挟んで骨盤底筋を鍛錬。塩分とアルコールも控えるなど食事制限も続ける。その一方で「ちょっと疲れたなと感じた時、『このまま倒れたら誰にも気づかれないかな』とか『このまま死ぬのかも』と思うこともある」という。「周りに迷惑かけないように考えます。風呂入る前に女房に声かけるとかね」と心がけている。

 家族の小さな心遣いにも気づくようになった。出血がある日に妻に相談すると「大丈夫大丈夫。女の人はこれくらい年中見てる」と笑い飛ばしてくれる。尿漏れパッドを通販で大量に買い、玄関横に置かれても、妻がすぐに中に入れてくれる。「一人で闘ってたらダメだったかも」と感謝する。

 公私ともにやりたいことが山ほどあるという。3年前、最後にゴルフをした際は体調が悪く自己ワーストの127を叩き(ベストは67)、リベンジに燃える。テレビ復帰にも意欲。「週1回くらいお仕事頂ければいいけど、もうこの世代が減ってきちゃった。関口宏さん、徳光(和夫)さん、草野(仁)さんくらい。年取ると、うさんくさくなっちゃうのかな」と苦笑いを見せた。

 「カメラの趣味もあるし、楽器も中途半端のままだし、DVDなどのコレクションも整理したい。やることがいっぱいあって死ぬに死ねないよ!」。毎日のようにカメラの前に立っていた時の口調で、勢い良くまくし立てた。

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