狂言の人間国宝・野村万作93歳 「芸は未完成」と語る境地とその先

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聞き手・山口宏子
【動画】インタビューに答える狂言の野村万作さん=小宮健撮影
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 狂言の人間国宝、93歳の野村万作さん。狂言を今日の隆盛に導いた立役者の一人で、いまも日々、舞台に立ち、全国を飛び回る。古典狂言を軸に、新劇など異分野と交流しながら、幅広く、先鋭的な活動を重ねてきた。舞台生活90年、その現在地と未来を語る。

 ――精力的に活動を続ける元気の秘訣(ひけつ)はなんですか。

 「特別なことはしていないのですよ。強いて言えば、しょっちゅう玄人(プロ)の弟子や素人(アマチュア)の人たちと稽古をしていることでしょうか。大きな声を出して教えるのが私のやり方で、それが健康に良いのかな。ただ、大抵はその後で一杯飲みますから、そちらは不健康な方の話ですね」

 ――どのくらいの量を。

 「缶ビール一つと日本酒なら2合くらい。または赤ワイン。毎日飲みますが、大した量ではないですよ。口角泡飛ばして芸論を戦わせていた飲み友達は、みな亡くなってしまいましたから。いまは素人のお弟子さん数人と稽古帰りにちょこっと飲むくらいです」

 ――地方へも頻繁に出向いています。

 「この前は、公演と稽古で1週間で青森、大分、宮城に行きました。遠方での稽古は、いまは青森だけです。素人のお弟子さんが6人ほどいて、もう60年になります。こういうお付き合いは、何ともいえない良さがありますね」

 「地方では1千席以上の大ホールで演じる場合が多く、狂言を初めてご覧になる方も少なくない。より大きな声で、せりふをきちっと伝えなくてはと力を入れるので、能楽堂で演じるよりは骨が折れます。宮城では『萩(はぎ)大名』を2日で3回演じました」

 「この演目では、登場の長いせりふがあり、その後、太郎冠者に向かって、同じようなせりふを繰り返します。同じことを言うのは、いかに難しいか。そこにエネルギーを使います。味わいのあるせりふを、おもしろくしゃべるのが得意だった父に教わった通り、やっているつもりですが」

狂言「冬の時代」に、「芸元」目指した父

 ――お父さんは洗練された芸で知られた六世野村万蔵さん(1898~1978)。

 「父は強い使命感を持って、『自分は家元にはならないが、〈芸元〉になる。芸をしっかり教える』と言っていました。素人、玄人の隔てなく、全力で教えるので、素人のお弟子さんは『もう結構です』と音を上げる人もいたほどでした。せがれの萬斎が3、4歳だった頃の稽古の映像が残っていますが、子供と同じ口調で高い声を張り上げていて、ものすごい熱が伝わってきます」

 「一方で、駄じゃれ好きの柔らかい一面もありました。俳句や釣りなど趣味も多彩。父が詠んだ『ややあってまた見る月の高さかな』という句がとても好きです。だんだん上がる月を見て、芸もあそこまで行きたいという思いがこもっている。能面も打ちましたが、これは趣味というより、生活のためでしたが」

 ――かつては、万蔵さんほどの名人でも狂言だけで暮らしをたてるのは難しかったそうですね。狂言の人気が高い現在では想像しにくいですが。

 「そうです。私はいま、15人ほどのプロを率いていますが、狂言がこんなに盛んな時代はありませんでした。どの家もほんの2、3人しか弟子がおらず、私は次男だったこともあり、頼まれてよその家に出演することも多かった。体が利いて水車(みずぐるま)(側転)など『体育���系』の芸が得意だったので、動きの激しい演目によく呼ばれました。そういう機会に父以外の先輩の芸に触れたことは、大いに勉強になり、刺激を受けました」

茂山千作さんの稀有な芸「とてもまねできないなあ……」

 ――特に影響を受けた人は。

 「まず父の弟の九世三宅藤九…

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