是枝監督が初長編撮った地 描かれた喪失と再生、重ねた能登の未来

有料記事with NOTO 能登の記者ノート

上田真由美
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 いまや世界的な映画監督として知られる是枝裕和さんの長編デビュー作は、29年前、石川県輪島市の漁村で撮影された。

 タイトルは「幻の光」。輪島朝市など、能登半島地震で失われてしまった風景も映っている。

 そのデジタルリマスター版が、8月から東京などで特別上映される。収益は輪島市に寄付される。

 映画を手掛けたプロデューサーには、どうしてもお礼を伝えたい人が2人いた。地震で安否が心配だという。

 記者の私は、プロデューサーから昔の手帳の走り書きを託され、2人の恩人を捜すことにした。

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2024年1月1日、最大震度7の揺れに襲われた能登半島。被災地を取材する記者がつづります。毎週土曜に配信する予定です。

 「幻の光」は、宮本輝さんの短編小説が原作。輪島市の雄大な自然を背景に、一人の女性の「喪失と再生」を繊細に描いた作品だ。

 監督の是枝さんは30代で、無名だった。主演は新人だった江角マキコさんだ。

 合津(ごうづ)直枝さん(70)は、原作の小説に20代のころに出会い、映画化を企画し、プロデューサーとして携わった。

 私がこの再上映の話を人づてに聞き、合津さんと初めて電話で話したのは、いまから1カ月ほど前、5月29日の夜だった。

 合津さんは映画を企画した当時、制作会社「テレビマンユニオン」のプロデューサーだった。手掛けていたのはテレビドラマで、映画は素人だった。

 初対面の宮本輝さんの自宅に赴き、映画化を了承してもらったものの、監督は無名で、出資者も配給先も見つからない。壁にぶつかってばかりだった。

 企画そのものを諦める覚悟も胸に秘めながら、原作の舞台、輪島市を訪れた。

 そこで出会ったのが、輪島市観光協会の「本田さん」だ。

 「こっちでやれることだったら、応援しますよ」。本田さんはそう言って、ロケ地にできそうな漁村を見つけてくれた。

 撮影に使う空き家を借りる道筋をつけ、協力してくれる人に次々とつないでくれた。

 その一人が「大工さん」だ。

 舞台となった鵜入(うにゅう)の集落で、床が抜けた廃屋を修繕し、主人公の家をつくってくれた。

 大工さんが修繕した家のお隣さんは「うちの板戸を使えばいい」と板戸を貸してくれた。極寒のなかの撮影で、女性たちがみそ汁の炊き出しをしてくれた。ある観光旅館は、別の民宿に泊まるスタッフをこっそり裏口から招き入れ、温泉のお風呂を使わせてくれた。

 「映画の企画をつぶさずに済んだのは、本田さんのおかげ。映画ができたのは、輪島の人たちのおおらかさがあったからこそ。いまもスタッフみんながそう思っている」と合津さんは言う。

 1カ月半の撮影を経て完成した映画は、1995年のベネチア国際映画祭で撮影の芸術性が評価されて金のオゼッラ賞を受賞し、話題を集めた。

 自分たちの映画を実現させてくれた輪島を、今年の元日、大きな地震が襲った。

 自分たちに何ができるか、合津さんたちは考えた。

 輪島の自然の厳しさや美しさ、焼失してしまった朝市の活気をフィルムに映したあの映画を、再度上映し、支援するという方法にたどり着いた。

 「1月1日の地震はショックで……。本田さんも大工さんも無事なのか、いま、どうしているのか……」

 電話の向こうの合津さんの声は、切迫して聞こえた。

 つい、言ってしまった。

 「お二人を捜してみますよ」

 私は今年3月末から、能登駐在記者として、輪島市の隣の隣の七尾市に住み、能登のいまを取材している。

 合津さんとの電話を切ってから3時間ほど。当時の手帳の走り書きメモを写した写真が合津さんから送られてきた。日付が変わるころだった。

 「輪島市観光協会・事務局長・本田晴夫」

 「鵜入 大工 坂下久造」

 30年ほど前の手帳をその日のうちに引っ張り出し、送ってくれたことに、合津さんの熱意を感じた。

映画「幻の光」が描いたのは…

 フルネームが分かったうえ、「観光協会事務局長」なら人脈も広いはず。小さな鵜入の集落なら、顔見知りを見つけるのも難しくないだろう。それが最初の印象だった。

 映画の試写用データを提供してもらい、初めて視聴した。

 原作の「幻の光」(新潮文庫)も読んだ。

 夫が突然、死へと旅立った主人公が、大きな悔恨を抱えながら再婚して輪島の小さな漁村に移り住み、新しい生活を始める物語。

 荒々しい冬の日本海の波音。

 海沿いに立つ黒瓦と板張りの素朴な家々。

 田んぼの水面が映す広い空と子どもたちの影。

 山あいの小道を進む葬送の列と鈴の音。

 輪島の四季を背景に描かれていたのは、大きすぎる喪失と、ゆっくり静かに訪れる再生の兆し。

 これは、これからの輪島、これからの能登の物語だ、と信じたくなった。

 2人の恩人についてインターネットで下調べしたが、手がかりは見つけられなかった。

 朝日新聞や地元紙の記事からわずかに確認できたのは、観光協会の本田さんが映画撮影から4年後の99年、輪島市役所に転職して観光係長に抜擢(ばってき)され、2007年には課長補佐級の観光課主幹になったことまで。

 やはり、直接行って、片っ端から人に尋ねるしかない。

観光協会で聞いた、思いがけない話

 6月上旬、まずは輪島市観光協会を訪ねた。

 協会のスタッフがわかりそう…

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この記事を書いた人
上田真由美
金沢総局|能登駐在

民主主義、人口減少、日記など市井の記録を残す営み

能登半島地震

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