<連載> 僕はパーキンソン病 恵村順一郎

気にかかる、ツバメの赤ちゃん気にかかる ジィジ気分で見守った半月間 また日本に帰って来いよ

【エッセイ編・病中閑あり】その15 ツバメ

2024.07.08

【5/26】

 そのニュースを持ち帰ったのは妻だった。
 近所のディスカウントスーパーの軒下に、ツバメが巣をかけた、というのである。

 東京近郊のこの街に引っ越してきた30年前、あっちの民家にも、こっちの駅にもツバメの巣はあったが、今ではほとんど見かけなくなった。知らず知らずのうちに。

 さっそく愛用のカメラを歩行器に積み、散歩かたがた見に出かけた。ある、ある。店内放送用のスピーカーの上に泥でつくった巣があって、1羽の親ツバメが座り込んでいる。

 

0526孵化直後のヒナを温める親

孵化直後のヒナを温める親

 

 

 なるほど、よい場所を見つけたものだ。巣のある軒下は前面にガラス壁がある。目下急増中のカラスやオナガといった外敵に襲われる恐れは少なそうだ。

 

なつといっしょに/つばめがくるよ/みなみの うみをこえ/たまごを うみに/ひるは あおいなみ しろいなみ/よるは あおいほし/しろいほし/とんで とんで とんで/にほんのくにへ(略)〉〉

『まど・みちお(1909~2014)全詩集』理論社より「つばめ」

 

 ツバメは春、子育てのため日本列島に渡って来る。東南アジアから何千キロもの旅である。列島は、ツバメにとって餌になる虫が多い豊かな地なのだろう。

 『田んぼの生きものたち ツバメ』(社団法人農山漁村文化協会、以下のツバメの生態に関する記述は主に同書に拠る)によれば、ツバメの卵は約2週間で孵(かえ)り、ヒナは約20日で巣立つ。とにかく無事に育って欲しい――。僕はもう子ツバメのジィジになった気分である。

 

【5/27】
味噌醤油倉軒を並べて燕の巣
 鈴木真砂女(1906~2003)

 ぽわぽわした綿毛のようなものが巣の上に見える。どうやらヒナは孵化(ふか)したばかりのようだ。ヒナは孵ったその日から食欲旺盛だそうである。

 交代でやってくる親ツバメが巣にクチバシを差し入れる。獲って来た虫を与えているらしい。

 

【5/29】
口見えて世のはじまりの燕の子
 加藤楸邨(1905~93)

 親ツバメが飛んで来るや、いきなりヒナたちが顔をのぞかせた。黄色い口を花のように開き、競い合って餌をねだる。花は4つ。4羽きょうだいだ!

 ヒナの成長は早い。うかうか目を離してはいられない。観察を1日怠ったのを悔やむ。

 

0529黄色い口が4つ咲いた

黄色い口が4つ咲いた

 

 

ついと出ちゃ/くるっとまわって/すぐもどる。/つういと/すこうし行っちゃ/また戻る。/つういつうい、/横町へ行って/またもどる。/出てみても、/出てみても、/気にかかる、/おるすの/赤ちゃん/気にかかる。

『金子みすゞ(1903~1930)名詩集』彩図社より「燕の母さん」

 

 タイトルは「燕の母さん」だが、メスの方が長く卵を抱くほかは、子育てにおいてオスメスの役割に何ら違いはない。ツバメのカップルは男女平等である。

 

【5/30】
子燕の口を数へて朝はじまる
 津川絵理子(1968~)

 体調と天気が許す限り、朝夕の散歩にあわせてツバメの巣を見回る。そんな日々が始まった。今朝も黄色い口が4つ咲いていた。ほっとする。

 これほど人間のそばで子育てをする野生動物を他に知らない。外敵を近づけないため、人間を盾にしているのだろう。けれど人間とツバメの関係は年々希薄になるばかりだ。

 

06034羽きょうだいです

4羽きょうだいです

 

 

 環境省の全国鳥類繁殖分布調査では1997~2002年と2016~21年とを比べると、農地の割合が高い場所ほどツバメの個体数の減少幅が大きかった。また日本野鳥の会のまとめでは、大阪府吹田市のすいた市民環境会議の調査で、1998年と2010年でツバメの巣は3分の1に減っていた。石川県健民運動推進本部では1972年から小学生による調査が行われているが、個体数・巣の数とも年を追うごとに減っている。

 里山の宅地化や農業の衰退、また農薬散布や圃場(ほじょう)整備などでツバメの餌となる虫が減った▽集団ねぐらがつくられるヨシ原が乾燥し、陸地化した▽ヒナを襲うハシブトガラスなどが日本全体で増えている▽外壁がツルっとして巣をつくりにくい建物が増えた▽糞が汚いからと建物に巣をつくらせない持ち主が増えた――ことなどが原因である。

 いずれも人間の暮らしや農業の変化、あるいは地球温暖化の影響が大きい。人間に近い生きものほど、人間の影響を受けやすい。この連載の「その14 カエル」でも見た現実は、ツバメもまた同じだ。

 

【6/6】
紅粉(べに)付てづらり並ぶや朝乙鳥
 小林一茶(1763~1828)

 ヒナののどが、親ツバメと同じように赤く染まっている。僕は63歳になる今まで、ツバメは「背中が黒でお腹が白のツートンカラー」だと思い込んでいた。〈のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根の母は死にたまふなり〉という斎藤茂吉(1882~1953)のうたが教科書に載っているにもかかわらず、である。思わず顔が赤くなる。

 

0606ヒナののどに赤い羽毛が

ヒナののどに赤い羽毛が

 

 

【6/7】
巣燕の糞(まり)するためのまはれ右
 正木ゆう子(1952~)

 1羽のヒナが巣の外に尻をむけた。とその瞬間、糞をした。数日前まではヒナが巣のなかでした糞を、親ツバメがクチバシでつまんで外に捨てていた。あ! また別のヒナがお尻を外に。

 

0606お尻を巣の外に出して糞をする

お尻を巣の外に出して糞をする

 

 

 人間とツバメの関係の深さは、言いならわされた言葉の数々が教えてくれる。

 「燕が低く飛ぶと雨が降る」というのは、ツバメの餌になる虫が低く飛ぶからだ。「雁が帰れば燕が通う」は去る者があれば来る者があるという意味、「燕幕上に巣くう」は非常に不安という意味のことわざだ。「燕が巣をつくる家は栄える」といわれるのは、ツバメは人の出入りが多い家に好んで巣をつくるからで、農家はツバメをとても大切にしたものだった。

 

【6/8】
子燕のこぼれむばかりこぼれざる
 小澤實(1956~)

 ヒナたちは両親と同じくらい大きくなったように見える。孵化直後、2グラムほどだった体重は10倍になるという。それが4羽だから、巣からあふれんばかりだ。ぽわぽわした産毛はほとんどなくなり、外を見詰める表情がりりしくなってきた。

 

0609巣立ち直前のヒナ。どこかりりしい

巣立ち直前のヒナ。どこかりりしい

 

 

 親が巣にやってくる回数がめっきり減った。ヒナに餌を与えるのを控え、腹を空かせて自立を促すためという。巣立ちが近づいているのだ。

 

【6/9】
味噌の出来上々子燕巣を離る
 真砂女

 両親がいつにも増して巣の近くを飛び回り、近くにいるオナガを牽制(けんせい)している。親ツバメは何倍も体が大きいカラスやオナガに立ち向かうように飛び、追い払う。飛ぶスピードはツバメが断然速いので、それなりの迫力がある。

 何かあったのかな、と思っていたら、1羽のヒナが巣を飛び立った。巣立ちだ! 近くの民家の屋根や電線に両親と止まり、黄色い口を開けて餌をねだる。まだまだ甘えん坊である。

 

0609巣立った後も餌をねだる

巣立った後もえさをねだる

0609巣立ったばかりのヒナ(左)を守る両親

巣立ったばかりのヒナ(左)を守る両親

 

 

 翌10日、2羽目と3羽目が姿を消した。最後の4羽目は11日朝、巣を見回った時にはいなくなっていた。きっとうまく巣立ってくれたのだろう。

 だとしても、ヒナたちには多くの危険が待ち受ける。しばらくは親から餌をもらうが、いずれ自力で餌を獲り、外敵から身を守るすべを覚える必要がある。夏の終わりが近づくと、寒い季節を過ごす南国へ、仲間たちと数千キロの長い旅を羽ばたき通さねばならない。

 丸山薫(1899~1974)の詩を思う。

 

ひろい ひろい 空/小さい 小さい 燕/青い 青い 海/黒い かすかな燕(略)ああ はてしない空と海とを思うと/燕の点は粟粒ほどになる/その粟の粒も消えてなくなりそうだ/けれど/点の二枚のつばさには/無限の海と空を跨ぎこす勇気が/たたまれている/点の二つの瞳には/地球の半分が映つているのだ/燕はとんでくる/時間のようにまつ青な中を/けんめいにはばたいて/南から北へ 矢のように

『丸山薫全集』角川書店より「燕はとんでくる」

 ツバメたちに僕は言いたい。また来春、日本に帰って来いよ。それまでお互い元気でいよう、と。

 

0609下が親、上が巣立ったヒナ。羽がまだ短めだ

 下が親、上が巣立ったヒナ。羽がまだ短めだ

 

 

 春、親ツバメは前年にヒナを育てた地に戻って来るが、前年生まれの1歳の若ツバメは、ほとんどが新天地に居を定めるという。血縁が近い個体間の交配を避けるためだ。

 古来、ツバメは人間と共存して生きてきた。餌となる小さな虫を育む緑地や水辺さえあれば、ツバメは生きていける。けれど都市と農村を問わず、そんなささやかな自然さえ消えつつある。

 カエルといい、ツバメといい、人間はかけがえのないパートナーを失いかけている。この列島で、いや地球で、人間そのものが生きていけなくなる日が近づいているのではないか。知らず知らずのうちに。

 4羽の子ツバメを見守りながら過ごした半月間の妄想、いや感想である。

 

文・写真 恵村順一郎

◆次回は、7月29日(月)公開を予定しています。

連載「僕はパーキンソン病 恵村順一郎」が本になりました

  • 左がきかない「左翼記者」
  • 恵村順一郎 (著)
    出版社: 小学館

     現役の朝日新聞記者だった筆者がパーキンソン病と診断されて以来、家族とともにどう病気と向き合ってきたかに加え、あらためて考えた朝日新聞の存在意義、この先のジャーナリズムのあり方などについても論考しています。

    〈恵村順一郎さんからのメッセージ〉
     病を得るのはつらいものです。でも、病気になったがゆえに見える景色もあるはずです。
     この本には、現役の新聞記者だった僕がパーキンソン病になって感じたこと、考えたことを率直につづりました。
     まず知っていただきたいのは、いま世界で患者数が急増中のパーキンソン病とは何か。加えて、僕が37年間、さまざまな形で体験してきたメディアとジャーナリズムの課題にも考察を広げています。ぜひ手に取ってご一読ください。

 パーキンソン病は、脳の神経細胞が減少する病気です。ふるえや動作緩慢、筋肉のこわばりといった症状があり、便秘や不眠、うつなどがみられることもあります。連載では、ジャーナリスト恵村順一郎さんが、自らの病と向き合いながら、日々のくらしをつづります。

<関連記事>

  • 恵村順一郎
  • 恵村 順一郎(えむら・じゅんいちろう)

    ジャーナリスト 元朝日新聞論説副主幹

    1961年、大阪府生まれ。1984年、朝日新聞社入社。政治部次長、テレビ朝日「報道ステーション」コメンテーターなどを経て、2018年から2021年まで夕刊1面コラム「素粒子」を担当。2016年8月、パーキンソン病と診断される。

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