羽生のために行われた卒業式
王者ゆえの孤独、けがとの闘い。すべては五輪連覇のために

孤高の星 羽生結弦

卒業証書を胸の前に掲げ、うれしそうに笑う羽生結弦が写った1枚の写真がある。両脇にフィギュアスケート部の後輩が2人、後ろには、部顧問の佐々木遵が立っている。東北高校で、羽生のために行われた卒業式だった。「たった1人の卒業式でしたが、後輩が参列してくれて喜んでいました」。佐々木は羽生の高校生活について話す。「実質的に高校にいたのは1年間だった」
2011年3月、羽生が2年生になる前に東日本大震災が起きる。仙台市を離れ、アイスショーで全国各地を転々とした。3年生になると、いい練習環境を求めて拠点をカナダ・トロントに移した。リポート提出など高校卒業に必要な単位を取ったが、同級生と卒業式に出席できなかった。
僕は熱血系アスリート
スケート界の先人に支えられて成長してきた一方、リンク外で、10代の少年、20代の青年らしいことを体験する機会は少なかった。2014年ソチ五輪で金メダルを獲得しても、羽生は力を緩めない。平昌五輪まで3年以上あるその夏、こんな言葉を残している。
「(大リーグ・ヤンキースの)田中(将大)選手を1回は見たいなあ、と思っているけど、他のことに体力を使うよりは、こういう生活の方がいい。練習をするためにカナダにいる。僕は漫画の熱血系のアスリートだと思います。スポ根的な」野球や音楽好きで知られるが、「コンサートもライブも行ったことがなくて。試合の観戦もベガルタ仙台のキックインと、楽天の始球式で1、2回見ただけ」と話した。
クラブの同僚、ハビエル・フェルナンデス(スペイン)は「部屋に遊びに行くことも、食事に一緒に行くこともない。一緒にいるのはリンク上だけ」。幼い頃から競い合い、一緒に平昌五輪代表になった同学年の田中刑事(倉敷芸術科学大大学院)は「一緒にご飯に行くのは引退した後しかないんじゃないかな」という。自らを律する生活を続け、羽生は他選手を圧する記録を樹立してきた。
言葉を動きに、動きを言葉に
まだ4回転サルコーを完全に自分のものにできていなかった2013年、羽生はコーチのオーサーを質問攻めにした。「助走のカーブは?」「跳び上がる方向は?」「氷についていない方の足の使い方は?」「腕をどう使うのか?」受けた助言、自分のひらめきを言葉にしてノートに書き留め、試しては修正する。「最大公約数と言っているんですけど、絶対見つけなきゃいけないポイント」を確立していく。言葉を動きにし、動きを言葉にする。
試合で負けた後や失敗した後に多くを語るのも、自分の頭を整理し、記事やニュースとして記録してもらうためだ。ミスをしたあとに、下を向いて無言を貫き通すようなことはない。「メディアを戦略的に利用している」という。
数々のけが その度に復活
羽生には古傷がたくさんある。腰や左ひざ。足首の剝離(はくり)骨折。昨年11月に痛めた右足首は、けがで関節が緩くなり、捻挫しやすい場所だった。2014年11月の中国杯で他の選手と衝突し、頭部や左太ももなど5カ所を負傷。翌月の全日本選手権後には、胎児期に必要な管が出生後も残っていて痛む「尿膜管遺残症」と診断されて手術を受けた。16年4月、世界選手権が終わったあと、左足甲の痛みで夏に練習を積めなかった。同年12月の全日本選手権はインフルエンザで欠場した。
その度に復活を遂げてきた。それを支えるのが、厳しい条件下で言葉で動きを整理した練習効率の良さだろう。リンクがないことに苦労した。ぜんそくで気道が狭く、古傷もあって長時間練習できない。週に4日か多くて5日。氷上練習は2時間弱だ。浅田真央が週7日、1日4、5時間も滑っていたのとは対照的だ。右足首が痛むのなら、その状態で技を決めるための「絶対ポイント」も見つけてくるはずだ。平昌五輪は、右足首の捻挫からの復帰戦であり、ぶっつけ本番になった。
スケートをやっていてよかった
「友達があまりいない」と言ったことがある。中学3年で世界ジュニア選手権優勝。試合や練習で学校になかなか行けなかった。「有名になって人が集まってくるのが嫌だ」と漏らしたこともあった。トロント移籍後、たまに日本で練習するときは、ひっそりとやった。「夢を追いかけてきただけなのに、世間の目を気にして生きないといけない」「ときどき、アイドルみたいな感じになって、なんか違うなと思うことはある。でも、応援してくれる気持ちは大切にしたい」
平昌五輪まであと半年というとき、「気楽にやりたくなるときは」と問われてこう語った。「日々あります。けれども、逃げる場所もない。スケートの場が、自分のつらいこととか逃げたいことを忘れることのできる場所でもある。スケートがないと、心がつぶれそうなこともあるし。この3年間、そういった意味でスケートをやっていて良かったなと思います」あらゆるものをスケートのために注いできた。全ては、五輪連覇のためだ。
66年ぶり五輪連覇
右足首ねんざからの復帰戦となったが、合計317.85点(SP111.68/フリー206.17)で金メダル。会見では「夢がかなったことに、すごく満足しています」と話した。
  • SPIN THE DREAM(後編)孤高の星 羽生結弦

    2018.2.14公開 2018.2.17更新
  • 後藤太輔

    取材:後藤太輔|twitter @gototaisuke

    朝日新聞スポーツ部記者。フィギュアスケート、パラリンピックスポーツ、サッカーなど担当

  • デザイン・制作:加藤啓太郎、佐藤義晴(朝日新聞メディアプロダクション)
    敬称略。写真は本人または関係者提供、日本スケート連盟、朝日新聞社など