感じて「水分れエフェクト」――再生した博物館の今 ここならではの体験を

提供:兵庫県丹波市

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「氷上回廊水分れフィールドミュージアム」が開いた農業体験教室に参加した子どもたち。なんで農業体験?

2021年3月、兵庫県丹波市氷上町にある一つの博物館がリニューアルオープンした。その名は、「丹波市立氷上回廊水分れフィールドミュージアム」。天から降り注いだ雨水が、ここを境に日本海と瀬戸内海に分かれていく「分水界=水分(みわか)れ 」をテーマにした施設だ。開館後、施設はどうなっているのかと足を運んでみると、農業体験にフラワーアレンジメント、野生動物ワークショップ、史跡ツアー、水族館づくり、まち歩きにハイキング―。「いやいやいや、分水界と関係ありませんやん」と突っ込んでみたところ、職員はにんまりと笑みを浮かべた。果たしてその意味は何なのか? 再生した博物館の取り組みを追った。

100万分の1 奇跡的な水の分岐点

少しお時間を頂戴して説明しておきたい。先に書いたように分水界とは、川がどの海に流れていくかの分岐点になる場所のこと。分水界は日本列島を縦断しており、「日本の背骨」とも言われる。多くの場合、分水界は標高の高い山にあり、最高地点は長野県と岐阜県にまたがる乗鞍岳で、標高は3026メートルだ。対して丹波市の分水界は標高がわずか95メートルしかなく、本州では最も低い場所で水が南北に分かれる。

人でも動植物でも、分水界を越えて南北を行き来しようとする場合、高い山を越えるよりも低い場所を通ったほうが楽。丹波市の水分れを中心に南北に伸びる低地帯「氷上回廊(ひかみかいろう)」は、瀬戸内海と日本海を結ぶ一本の道のようになっており、渡り鳥は氷上回廊を抜け、太古の昔にはナウマンゾウも通ったと考えられている。気候でさえも南北入り混じり、瀬戸内海側と日本海側の木が共存する森がある。

江戸時代には河川を利用した輸送「舟運(しゅううん)」が発達し、さまざまな土地の産物と文化が水分れに集まり、「多様性の宝庫」となった。

さまざまな要因を積み重ねた結果、この氷上回廊が出来上がる確率は100万分の1だそう。自然が生み出した奇跡的な地形だ。

大型ワイドスクリーンに映し出された市内の4K映像。最新設備が導入され、より「水分れ」が分かりやすくなっている。

だが、説明は難しい。実際、ここまでかなりの文字数を使ったが、それでも、分かりづらい。もう少し踏み込めば、「地味」だ。故に1988年に開館した前身の「水分れ資料館」は来館者が減少の一途をたどり、「さびれた博物館」になっていた。

リニューアルによって、最新のプロジェクションマッピングを活用したり、超ワイドスクリーンを使った4K映像を映し出したりするなど、この奇跡の地形を伝える能力が向上した。ここでようやく冒頭に戻る。「やってること関係ありませんやん」――。

記者の突っ込みに笑みを浮かべた職員から、「一度、ワークショップを見に来られませんか?」と提案された。よく分からず足を運んだのは、子ども向け農業体験教室だった。

「最初の一滴で」 農業体験にも要素内包

「どろどろになったー」「あ、ここにも虫がいる」。子どもたちが歓声を上げていたのは、ミュージアム近くの休耕田。新規就農者を育成する市立「農(みのり)の学校」を運営する株式会社マイファームのメンバー指導のもと、子どもたちが米や特産の丹波大納言小豆、丹波黒大豆などを栽培していた。

黄金色に色づいた田んぼに立った子どもたちは、鎌を使った昔ながらの手作業で収穫。「初めての稲刈りだったので楽しかった。自分の育てたお米だから絶対においしいと思う。早く食べたい」と目を輝かせる。

収穫の喜びを口にする子どもたちの発言の中に、気になる言葉があった。「だって、最初の一滴で作ったんやもんな」――。

これってまさか? 職員の顔を見ると、やはりにんまりと笑って言った。「子どもたちが育てた野菜を育んだ水は、今まさに日本海と瀬戸内海へと分かれていく水。つまり、最初の一滴なんです。農業体験は別の場所でもできますが、空から降ってきた水がここから川になって海に流れていくことをイメージしながらの農業はここでしか感じられないことだと思うんですよね」

農業体験教室で野菜の栽培にチャレンジする子どもたち。

川魚を集める水族館づくりが最も分かりやすい。本州で最も低い分水界が故に、日本海側の川にすんでいるはずの魚が瀬戸内海側の川で見つかるなど、この地域の川は独特の生態系を持っている。それは言葉で学ぶよりも、実際に川で魚を捕まえてみることが何よりの理解につながる。

フラワーアレンジメントに使う素材は、南北が入り混じった気候の地域に生息する草花。まち歩きやハイキングは、分水界ならではの扇状地などを全身で感じることができる。

なるほど、一見、関係ないように思えるイベントには、この水分れならではの要素を内包していた。そういえば、リニューアルオープン後の施設には、「フィールドミュージアム」という名称が付けられている。地域全体(フィールド)を博物館(ミュージアム)と捉えており、まち全体にある水分れの痕跡を発見しようというコンセプトという。

「史跡にしても自然にしても、この丹波市で学べることの多くに『水分れがあったからこそ』ということがたくさんあります。まちを学ぶことは水分れを学ぶことであり、水分れを学ぶことはまちを学ぶことになるんです」――。

地域の高校生が作った「水族館」。水分れならではの生態系を肌で感じることができる。

お堅いイメージ打破に 帽子のモチーフは

リニューアル後の1年間の目標来館者数は3万人。前身の資料館は閉館前、年間2000人ほどが来館していたため15倍になる。昨年11月時点で2万6000人となっており、年度末までに目標は達成できる見込みという。

「普通、博物館の1年目は開館したことが話題になって人が来ます。2年目、3年目もまだ余波がある。けれど、4年が過ぎると、ぱたっと人が来なくなる。前身の資料館がオープンした時も同じだったはず。二の舞にならないために、他の博物館などと連携した企画展を年間3回以上、農業体験などのワークショップを年間20回以上開くことを目標にしているんです。住民でつくる友の会との連携も大切ですね」

まじめな顔で説明してくれた同施設の菊川裕幸館長補佐の頭には、得体のしれない帽子が載っていた。

「これは絶滅した淡水魚のミナミトミヨがモチーフ。地域の方が作ってくれました。この魚も本来、日本海側にいるはずなんですが、瀬戸内海側の川で見つかっているんですよ。ほら、博物館ってお堅いイメージがあるでしょう? この帽子をかぶっていることで、少しでも子どもたちが気軽に来てくれたらと」

魚の帽子といえば、「ぎょぎょっ」のさかなクン。菊川館長補佐によると、オープン記念にさかなクンの講演会を開いた際、本人の前でもかぶっていたものの、特に何も言われなかったそうで、「本人黙認です」と笑う。

ミュージアムへの思いを語る菊川館長補佐。頭に載っているのは絶滅した淡水魚「ミナミトミヨ」がモチーフだそう。

このまちで生きる「ミッション」感じて

菊川館長補佐の施設にかける思いは、熱い。「地元の子どもたちに、もっと地元のことを知ってほしい」という考えから、小、中学校の授業の副読本「氷上回廊が教えてくれたコト――未来につなぐ丹波のキセキ」を作成。氷上回廊という地形の成り立ちから、この地形ゆえの歴史、さらにはごみの減量化に災害と、水分れを通した目線から始めることができる学習の道を開く。

「この帽子も農業体験もフラワーアレンジメントも、きっかけはなんでも良いと思っています。何なら水分れのことを知らずに来てもらってもいい。でも、ここに来てもらうことで、数秒であっても水分れという文字が視界に入る。そこから何かが始まればと」

子どもたちに知ってほしいことは、「地域のミッション」。菊川館長補佐の身振り手振りがどんどん大きくなっていく。「分水界が通るまちということは、2つの海につながる川の源流があるということ。イコール、このまちで起きることは2つの下流域に影響があるということなんです。ここでごみを捨てたり、環境破壊をしたりすれば、下流に悪い影響が出る。分水界という貴重な地域資源は市民の誇りであると同時に、私たちに下流に対するミッションを与えているということなんですよね」

「バタフライエフェクト」という言葉がある。小さな蝶の羽ばたきがどこかで竜巻を起こすという意味で、わずかな変化が大きな出来事を引き起こす可能性があるという考え方だ。この地で生きる人は、「水分れエフェクト」とも言えるようなことを意識してほしいと願う。

「大人になって、たとえこのまちを出たとしても、自分の行動が人や自然に何か影響を及ぼしているということを分かった人になってほしい。そんな意識を持つ人は、大きく言えば、『地球のためになる人』だと思います。この施設がそんな人を育む場所になればと、日々努力し続けています」

「関係ありませんやん」と突っ込んでしまったことを反省した。

農業体験の最終講座で、自分たちが栽培した野菜を味わう子どもたち。「あま~い」と大歓声。

全6回続いた農業体験教室の最終講座。参加した子どもたちが、収穫したサツマイモや小豆などを味わい、「おいしい」「あまい」と歓声を上げる。自分たちで育てた野菜を食べるのは初めてという子どもが多く、噛みしめるたびに栽培していた時の思い出がよみがえっているようだ。

「大事に育てた野菜が何者かにかじられていたことがあった。犯人はネズミのようです」「スーパーで売っている野菜ができあがるまで、こんなに大変だったとは知らなかった」「また教室があったら参加したい」

全てはここだからできること。そして、この地は水分れ、氷上回廊という地形によって育まれたこと。「地味」な要素だからこそ、あの手この手で、触れ、感じてもらう。それがここに生きる者として大切な意識を醸成していく。

リニューアルした博物館の歩みは、まだ始まったばかりだ。